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社内報マリン

マリンフードでは年に3回社内報を発行しています。社内報の一部の記事をご紹介します。

創業130年⑮「匍匐前進」(令和4年12月15日号)

取締役社長 吉村 直樹 

一. 42期〜51期(1998年〜2009年)


二. モニター制度スタート
 42期(1998年)5月に消費者モニター制度が発足した。同年の社内報12月15日号が「消費者モニター調査会制度導入」と題して吉村専務(当時監査役)の記事を掲載している。
 「この調査会と申しますのは、過日開催されたグランドマリン会総会でも社長より紹介されましたが、生活者の生の声をより積極的に当社の商品開発に反映させる為に一般消費者の方にマリンフードのモニターになって頂こうということで発足致しました。
 募集に際しては、タウン誌では業界大手のサンケイリビングに掲載致しました。
 当社の掲載記事は、当初の予想を遥かに超える反響があり(担当記者も驚いていました)、募集人数30名のところに、なんと1,040名の応募がありました。うれしい悲鳴と共に、一枚一枚丹念に書類選考し、特に熱心に応募動機を書かれていた30名の方をマリンフードのモニター会員として登録させて頂きました。......この制度を続ける事は、今や我々作り手よりも一歩も二歩も先を行く消費者ニーズをいち早くキャッチする事はもちろん、ひいてはマリンフードの商品をよりよく理解して頂いているお客様を育てることに繋がってゆくと確信しております。」
 翌々年(2000年)の事業計画書に次の記載がある。「①2年モニター制度を続けたが反響も大きく内容豊かで成果も大きい。一年交替でモニターさんは毎年変わることになるが、マリン友の会的なものへの発展も考えられる。②商品開発企画会議全体で企画運営を行うが、議長は吉村監査役とし、4月末までに次年度の計画を提出する。」
 2022年10月現在、友の会のメンバーは1,179名に達している。

三. 100年後の日本と世界のチーズ需要
 1998年5月のモニター制度スタートの1ヶ月後6月に、社長はデンマーク農業理事会の招待で、スペイン(バルセロナ)、フランス(リヨン)へ行きました。その折、デンマーク側から約1時間のスピーチを依頼されました。通訳付きですから、実質は45分位のものです。
 スピーチを依頼されて、実はタイトル探しに大変悩みました。参加者が、当社の得意先、競合メーカー、小売業者、商社、デンマークチーズ担当者と多岐にわたり、誰を対象にしたらいいか迷った訳です。直接の利害者とは関係なく、しかも全参加者に興味を持てる話題作りをめざした結果、表題のタイトルに行き着いたという訳です。
 さて当時(1998年)の世界の総需要は1,500万トン前後で、日本が22万トン程度でした。当社は3,000トン前後です。
 そこから100年後を推定するのは、ほとんど無茶な作業ですが、種々の理屈を駆使して、世界需要3,000万トン、日本70万トン(一人当り7kg/年)と推計しています。2022年現在は、世界が2,000万トン、中国は当時2,000トン内外でしたが、昨年は45万トン前後にまで急伸しているようです。日本が35万トン強です。但し、2008年度のチーズ原料暴騰時に日本の総消費量は15%程度減少しています。しかし当時から23年が経過した現在、さらに100年後というと、まだこれから77年後と言うことになります。当時の推測もまんざら出鱈目でもなさそうです。
 1998年12月の社内報は、それらの報告の最後に「未来に向けて」という一文を追加しています。
 『世界はともかく、日本における重要ポイントは、日本の一人当たりの消費量がどこまで伸びるかであり、もう一つは人口がどうなるかでしょう。現在の子供達は皆んなピザもチーズも大好きです。日本の食習慣が確実にゆったりと変化して来ています。100年後(現在から77年後)という時間を考えれば一人当たり7kgは充分可能性の高い数字ではないでしょうか?参考までに当時フランスが25kg/人、米国が15kg/人です。
 人口について、私見を言えば、2040年~2050年頃に減少に歯止めがかかり、2080年頃再び上昇に転じ、1億人位という気がいたします。
 過去歴史は、急成長、停滞、減少、停滞、急成長を繰り返して来ました。急成長の背景には必ず新しい文化、文明が控えていました。土器、集約農業、産業革命等々です。独断と偏見で今後の文化文明の飛躍要因を占ってみました。
 ①遺伝子変換技術の発展と実用化。
 ②重水素の核融合によるエネルギー革命。
 ③体外受精の一般化(文化の変容)。
 ④情報社会の超発展(IT革命)。
 ⑤地球外エリアへの脱出。
 100年後を考える時、単に数字合わせでは腑に落ちない。世界全体を取り巻く思想や哲学に想いを拡げざるを得ません。』
 余談ですが、バルセロナでのスピーチを終えてホッとした後、我々はフランスのリヨンを訪れました。サッカーのワールドカップが開かれていて、日本対ジャマイカ戦を観戦することが出来ました。

四. 匍匐前進
 この頃(1998年・42期)、ようやく新製品開発が諸に就き、過去5年間の新製品が全売上の30%シェアを初めて越えた。
 翌1999年の事業計画書である。
 「競合メーカーの幹部がパーティーの席上で『ガーリックマーガリンは御社の独壇場ですね。素晴らしいすき間市場を開拓された。敵はいないじゃないですか』と囁いた。外資系食品企業の会長が『吉村さんの発表した〔100年後のチーズ需要〕を新聞で読みましたよ』と近づいて来て『家内が御社のガーリックマーガリンの大ファンですよ』と告白してくれた。テレビ朝日で浜村淳が、当社のオリーブ&ガーリックマーガリンについて『香りが素晴らしい。こんなに美味しいものだとは思わなかった』と激賞してくれた。イトーヨーカ堂のバイヤーが銅板焼ホットケーキについて『こういう付加価値のある製品を他のメーカーも開発してください』と宣伝してくれた。流通商社の営業マンが『マリンフードは素晴らしい商品を持っている。あとはいかにプレゼンテーションするかだけだ』と感心してくれた。ある経営コンサルタント集団を率いる理事長が、その著書の中で『吉村社長は見事な状況判断である。実行力も優れている』と過分な言葉を頂戴して激励していただいた。」
 1999年には、今につながるHP(ホームページ)が開設。2003年に初めての会社案内ビデオが制作された。この作品完成後、日本産業映画協議会主催、文部科学省・経済産業省・毎日新聞社後援の『日本産業映画ビデオコンクール』の存在を知り応募した。当年が第41回目だったが、いきなり『奨励賞』を受賞した。同時受賞に、サッカーW杯札幌会場とハワイに日本が建設したスバル望遠鏡の記録映画があった。
ビデオは現在(2022年)第三次が放映され、その他多彩な映像を提供している。
 更に2006年には全社指名提案制度が始まり、現在は年間1,500件内外の改善提案が上がっている。全社員(正社員、準社員)が20の職場単位にグループ分けされ、受命者は2ヶ月間で正社員は4件、準社員は2件の提案(問題点の指摘)提出が義務づけられ、4年に1度回って来る。他に新人研修、一般社員研修でも問題点の提出が必携課題となっている。
 提出された問題点は一件ごとに解決者が指名され、基本的に二ヶ月以内に解決策が提出される。これを毎月のPJ会議で検討し諾否が決まる。差し戻しの数は少ないが、2回続けば解決者を変更する。

  五. ファーストフードA社
 1999年末ごろ、ファーストフードA社からホットケーキのオファーがあった、東日本分は米国からの輸入で賄うが、西日本分を日本で調達出来ないか。と言うものだ。翌2000年の3月から正式決定の8月までの研究部担当チームの努力は従来の常識を超え、提出サンプル件数は373回に達した。生産部も連日ミーティングの連続であったが、A社購買部長の「マリンさんの挨拶はすばらしいですね」の一言が全ての苦労を喜びに変えてくれた。
 そして2000年の秋、A社向けホットケーキの生産が24時間体制でスタートした。2002年の事業計画書に、「完成した製品は当社の従来品と比べ、確かに触感が爽やかで美味しい。自社品の開発ではここまでの追求は不可能であったろう」との記載がある。
 しかし、結果的に言うとA社のホットケーキの生産は3年半で終わりを告げた。
 2004年の事業計画書である。「......A社品に至っては担当エリアの縮小とはいえ前年比最悪の状況で終始した。先方の内部事情でエリアを縮小され生産数量の激減となった。昨年末に取り引きの返上を申し出るに至った。」
 「現行の当社のホットケーキビジネスは、ホットケーキ開発以来の悪戦苦闘、暗中模索状態と言っていい。昨年々初からの取り組みを振り返ると、液卵の購入方法の見直し、五穀ホットケーキの研究、ミックス粉市場参入の可能性調査、調整小麦粉使用検討、パンケーキ改良、オレンジホットケーキチャレンジ、豆乳ホットケーキチャレンジ、常温ホットケーキの研究などなどに取り組んだ。テーマは多彩で可能性を秘めたものも散見されるが、大きな成果を生み出すレベルには達成することが出来なかった。」

つづく