世界・日本の映画ランキングベスト250~至極の世界~②(ほほづゑ2018年夏 第97号より転載)
ボクが五十年前の札幌での学生時代に、大学の講義に出ないで三軒の映画館を渡り歩き、五本の映画を観たことがある。ふらふらになって大学の倶楽部の部屋に顔を出したら、先輩から「これでは革命は起きないなあ」と冷やかされた記憶がある。「何故、映画を観ていたら革命が起きないんだろう」。ただし、その先輩は現在首都圏にある国立大学の名誉教授で、数年前に天皇陛下をご案内した旨を誇らしげに語っていた。
二人とも故人だが、大の映画好きの淀川長治と、池波正太郎の対談「私たちは兄弟のように映画が好き」の中で、淀川が池波に「よく映画をごらんになって、映画がお好きなことは、ほんとにビックリですわ。だいたい月に何本くらい?......」との質問に、池波は「まあ忙しくて十五本、ひまなときは二十本くらいは見ます。見ないと、ちょっと一種の飢餓感を覚えるわけですね」と答えている。
重ねて池波は「もうちょっと政治家なんか見たらいいと思うんですよ。明治の政治家なんか、伊藤博文でもだれでも、歌舞伎なんかをよく見て、感覚的に自分も泥臭くしないようにっていうことをね、やっぱり心がけていますよ。そうしたらもう少しアカ抜けた政治家が出てくると思いますね」。
この対談が四十三年前。この時淀川長治六十六歳、池波正太郎五十二歳。驚きです。
16位「鎌田行進曲」(日本映画 1982年)
ボク達の会社では四月になると蒲田行進曲を歌う。蒲田にも映画にも無関係だが、明るくスピード感溢れる曲が、春四月にぴったりだ。
映画は、ボクの遥か彼方の青春を描いてまぶしい。また映画界の内幕物、例えば世評高い「アメリカの夜」(82位)や「ニュー・シネマ・パラダイス」(101位)、「イヴの総て」(151位)等を凌駕している。
父親が他界してボクが社長を継いで三年目、大阪市内で車のラジオからロードショー終了の案内があった。慌てて映画館に飛び込み、特に終盤の小夏(松坂)とヤス(平田)の絡みでボロボロと涙を流し続けた。
オープニングで撮影所のセットの屋根がバタバタと閉じられて夜が作られて行く。一瞬にしてこれから始まる映画への期待感が高まる。もうボクは映画の世界に引きずり込まれている。
時代劇の撮影シーン等も多々出てくるが、いずれも凛々しく華麗だ。深作監督の小気味良いスピード感と共に、日本のバーグマン、松坂慶子が美しい。
33位「駅馬車」(アメリカ映画 1939年)
伝統的な西部劇の筆頭。映画史に残る不朽の名作と呼称されている。今観ても全く色褪せていない。世界のジョン・ウェインを作り上げたとか、黒澤明に強く影響を与えたとか伝説に事欠かない。
話はアリゾナからニューメキシコへ向かう狭い駅馬車に乗る七人の乗客と馭者席の二人の人間模様。
実は腕の良いアル中の医者。小心者の酒売り商人。町を逐われた娼婦。騎兵隊大尉の夫の許へ向かう淑女。悪名高い博打打ち。大金を横領して逃亡する銀行マン。馭者席の保安官と馭者。父の復讐に向かう脱獄のガンマン(ジョン・ウェイン)。
娼婦の優しさに惚れたガンマンのキッドが求婚をする。娼婦がアル中の医者に尋ねる。
「私に結婚は無理?」。医者が答える。「やってごらん」。しかしキッドは父の復讐にローズバーグへ行かねばならない。ジェロニモが襲う。逃げる駅馬車。ぎりぎりに現れる騎兵隊。
無事に着いた目的地の酒場でキッドを待つ三人の男達。三人相手に三発しかない弾を込めて向かうキッド。
決闘の場面は控えめで奥床しい。全編を通じて、血や裸を見せる場面はない。細部が素朴で、この西部劇の嫌味のない格調の高さが素晴らしい。
53位「アパートの鍵貸します」(アメリカ映画 1960年)
四十五年前に観て、主人公が保険会社の事務所で使っている回転式電話帳が欲しくて探し回り、東急ハンズで見つけた時は嬉しかった。他にもテニスラケットでスパゲッティーの湯切り、ドライ・マティーニのオリーブの楊枝を、酒場のカウンターに並べて時間の経過を暗示する等、お洒落な小道具に満ちている。
ボクはカクテルはドライ・マティーニしか吞まないが、それはこの映画と開高健に由来している。
主人公二人の初めてのデートは、女がすっぽかしてしまう。男は二人が観るはずだったミュージカル劇場の前でうろうろする。これはブロードウェイの有名なマジェスティック劇場。今は「オペラ座の怪人」をロングラン中だ(二十九年間ですぞ)。
映画は、サラリーマン社会への痛烈な皮肉だが、ワイルダーの大人の職人芸で、それに気が付くまで、しばらくの時間を要する。サラリーマン社会は、発展の一途を辿っているが、もたらす悲喜劇もおわりがない。
93位「男と女」(フランス映画 1966年)
学生時代に一度観ただけで、内容も理解出来ていなかったし、もっと退廃的な映画だと思い込んでいた。フランシス・レイの"ダバダバダ"で有名かつ秀逸な音楽のせいでもある。少しシリアスで、少し思索的な恋愛映画。特に最後が素敵だ。
男と女の間に生じる一瞬一瞬移り変わる喜劇的な思いの数々を、男の独白で切り取った。アヌーク・エーメが深く美しい。
誰も触れないけれど、オープニングの男と女が、それぞれの子供と戯れる映像が好きだ。
観てはいないけど、同じスタッフ、キャストで撮られた続篇は評価されていない。そんなディテールの描写がどうだったのだろうか。男は妻を自殺で亡くしたカーレーサー。女は映画製作スタッフ。
二十七年後のドキュメント・フィルムで、クロード監督が、破産寸前だった貧乏まみれの舞台裏を語っている。予算がないのでカメラはハンディーだった。結果は各種映画祭で逆転満塁ホームランの快挙。
148位「緋牡丹博徒シリーズ全八作」(日本映画 1968年~1972年)
「肥後熊本は五木の生まれ、姓は矢野、名は竜子。通り名を緋牡丹のお竜と発します」。
この映画が誕生したのは一九六八年九月。学生運動全盛のあの時代、燎原の火のごとく任侠映画が全国を席巻した。この年四月、ボクは大阪駅から特急白鳥で北陸を経由して青森へ行き、連絡船に乗り継いで函館から特急おおぞらで札幌へ、丁度二十四時間の旅だった。
当時、土曜日の夜札幌の映画館は、皆深夜三本立ての幟がはためいていた。キャンパスは学生運動の嵐が吹き荒れ、翌年東大の入試が中止、その十一月北大の本部が機動隊のヘリコプターで封鎖解除された。その翌々年十二月、ボクはシベリア経由でヨーロッパ放浪の旅に出掛けるのだが、年が明けた一月、「緋牡丹博徒」は、藤純子の七代目尾上菊五郎との結婚引退記念作が公開されて幕を閉じる。二月札幌オリンピック開幕。
一本観るなら「お命頂きます」(毎日映画コンクール女優賞)。二本観るなら「花札勝負」。いずれも加藤泰監督。
「娘盛りを渡世にかけて、張った体に緋牡丹燃える」。
(2026年7月1日付 / 毎月1日発行)
