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会頭の履歴書

会頭の履歴書④(とよなかチャンバー2026年3月号より転載)

豊中商工会議所会頭 
吉村 直樹
(マリンフード株式会社代表取締役社長)


▲大正3年、牛込の自宅。右から栄吉、六郎、四郎、七郎、信三

【父Ⅳ】
 しかし、父が弟達に社長を譲ったわずか二年後、栄吉が満州出征中に、弟達は又作石鹸を廃業し、55年の歴史を閉じた。弟達は又一郎のミヨシ石鹸に転籍したが、更に二年後、米国機の波状焼夷弾攻撃によって、工場建物は鳥有に帰した。
 満州から招集解除で帰国した栄吉は工場跡地に立つ。
 「ここに生れ、ここに育ち、ここに生活した。庭園跡の一隅に立ち、交々起る追憶と幻想に、暫く低廻去るに忍びなかった」。
 一方で栄吉が帰国したことを知った又一郎が、大阪にあった個人会社油化学研究所の責任者として下阪を依頼した。栄吉初の大阪との出会いだ。当時栄吉は41才だったが、以後37年間、大阪の地で生きた。
 又一郎はミヨシを戦時中に上場する辣腕家だった。父が兄の要請を断るのは難しかったと思われる。
 父が豊中商工会議所第2代会頭を務めたのは、昭和26年~30年で、当時吉村油化学の専務だった。住まいは曽根、池田、三国と変わり、独立したミルクマリンの豊南町の工場内に移った。創立は、乱立気味のマーガリン事業に嫌気した又一郎の撤退の指示の為だ。50数人の社員を抱え、資金の無い栄吉の苦難。ただ多数の取引先が出資に応じた。(続く)

(2026年7月1日付 / 毎月1日発行)