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社内報マリン

マリンフードでは年に3回社内報を発行しています。社内報の一部の記事をご紹介します。

創業130年⑰「スティリーノ開発前夜」(令和5年8月1日号)

取締役社長 吉村 直樹 

一. 慌ただしい一年(2003年・平成15年)
 前号記載の2001年の泉大津工場竣工時の売上高は72億円だった。それから2年後の2003年(平成15年)に創立した45周年事業の一環として、初めて会社案内ビデオを制作した。
 物は試しと毎日新聞主催・文部科学省・経済産業省後援の「第41回日本産業映画。ビデオコンクール」に出品し、いきなり奨励賞を受賞した。他の受賞作品に会社案内ビデオは一本もない。大賞は「未知への航海・すばる望遠鏡の建設の記録」だし、同じ奨励賞には「2003年ダカールラリー三菱パジェロ3年連続総合優勝」や「2003年FIFAワールドカップ札幌開催報告ビデオ」など錚々たる作品が受賞している。社長は高校時代、演劇クラブ設立に参加し、大学時代は演劇研究会に所属した。夢破れたとは言え、一時は欧州公演も企画した。その集大成。光栄と言う他ない。
 6月にはモンドセレクション(世界食品コンクール)でグランドゴールドメダル2品(「ブールコンポーゼ・ド・パリ」、改名して現在「私のフランス料理」、「はちみつシュガーバターブレンド」)、ゴールドメダル2品(「チーズフォンデュ」「胡麻いっぱいバターブレンド」)が受賞した。
 平成4、5、6年と3年続けて「ジャンボホットケーキ」で金賞を受賞して以来であった。
 表彰式は6月30日、ベルギーの首都ブリュッセルで開催されたが、当社から吉村取締役(当時)が出席した。

 更に8月1日~11月30日の4ヶ月間、消費者向けのキャンペーンを実施した。前回(平成12年5月~8月)の『陽気なイタリアンキャンペーン』(ガーリックマーガリン)からまだ3年しか経っていない。当時の社内報である。

 「今回は『旬の彩りマーガリンキャンペーン』と称し、当社得意分野の色物マーガリン5品が対象商品。今回の特徴は"手間を省いて本格的な味を楽しんで頂く弊社のお料理マーガリンに対するお客様の認知度を高める"のを目的としている。
 全国各支店営業所で精力的な宣伝販売も実施される。全社員一丸となって目標達成へ。」
 このキャンペーンの最中、弊社の業務用食材問屋の顧客のトップ層を対象にした「グランドマリン会」が、9月末に東京六本木の『ホテルグランドハイアット東京』で開催された。今回初めてオプションで奥様方のご同伴をお勧めしたところ、30名近いご出席があり、賑々しく、艶やかにお客様をお迎え出来た。
 この会の目的は。グランドマリン会員の皆様方の情報交換や親睦融和の場として、又、これからの事業戦略に想いを寄せる場として、有意義な時間を提供させて頂く事である。

 後日、ご出席の大多数のお客様より御満足のお言葉を頂戴し、上映した会社案内ビデオの貸し出しも希望された。古くからお付き合いのある大手コーヒーロースターの会長からは、素敵なお手紙を頂き激励していただいた。
 「貴社のご充実は目を見張るものがあり、企業方針も明確で解り易い。心より敬意を表します。」
 グランドマリン会は、現在(令和5年現在)も継続し、本年11月の開催(マンダリン・オリエンタル東京)が計画されている。
 そして(平成15年)12月に、食品産業社から「第33回食品産業技術功労賞・技術アイデア部門」を頂戴した。「色物マーガリンのパイオニア的存在。それぞれの個性を発揮しながら、ニッチ市場で確かな存在感を見せている。」

  二. 指名提案制度スタート
 昭和55年(1980年)直樹が社長就任以後、小集団活動やQCサークルなど、種々の現場改善活動を始めては壁にぶつかって中止を繰り返して来た。いよいよ何とかならないかと社長がリーダーになって準備を始めたのが平成16年(2004年)で、「指名提案制度」としてスタートしたのが翌2005年であった。プロジェクトの準備段階では何から始めたらいいのか見当もつかず、とにかくメンバーを少人数にグループ分けし、大手企業にヒアリングしに行こう、となった。
 数ヶ月後、松下電器を初めとして10社強の状況が分かって来た。驚いた事に、一社としてモデルになるような活動は無かった。各社の事務局は質素な佇まいで悪戦苦闘され、大型書店のビジネスコーナーを埋め尽くす賑やかな展示振りが、嘘のようだ。
 仕方がないので、今我々に出来ることから始めよう、と言うことになった。全社を15グループ(当時)に分け、2ヶ月で職場の問題点を各人正社員4個、契約社員2個提出する。順番はおよそ2年(当時、現在は4年)に一度回って来る。提出された問題点は提案PJで解決担当者が指名される。問題提起も解決者も指名制が特徴だ。どこの会社も目安箱が設置されていたが、機能していなかった。
 昨年(2022年)の提案件数は下記の通りである。件数の多いのはコロナの影響や社内研修で追記されるからである。


 現在事務局を務める総務の大本主任が2023年(本年)の事業計画書に記載している。
  「私自身、現在まで約6年間提案PJの事務局として運営に携わっています。役割としては、案件の集計と管理、関連部署への情報発信等ですが、滞留案件を増加させないように各部署に提出を促し、連携して滞留案件を減らして行くことが事務局の役割だと感じています。また、新入社員研修、社内研修の講義を通して、具体的且つ簡潔に書く等、提案を提出する上での注意点の周知を行っています。」 



  三. スティリーノ開発前夜
 「昨秋(2005年)、英国のプリムソールという見知らぬ会社から英文と和文の混ざったレポート冊子が届いた。タイトルは『日本の乳製品製造会社分析 上位75社。』各社の売上増加、税引前利益率、従業員数、平均給与などから総資産、借り入れ金、流動資産、減価償却等、どこから入手したのか分析は多岐にわたり、それらを有力者、行動者、会社価値、付加価値、活動者、キャッシュリッチ、効率の先行者など見慣れない言葉も含む16項目ごとにランキングし、最後に、勝ち組18社、機運組16社、睡眠組17社、負け組18社に分類する刺激的なものであったが、マリンフードは大手乳業会社を差し置いて7位にランキングされていた。」
 そしてその頃、取り引きはないのだが、豪州の大手原料チーズメーカーの「ワーナンブール社(現サプート・オーストラリア)」の役員会議の資料の中に次の一行があった。
 「Marinfood is shining star」
 当時の当社の売り上げ高は、伸びていたとは言え、漸く80億円に達したばかりだった。どこが気に入られたのだろう。
 同じく2005年11月、縁があって金沢大学の『ベンチャービジネス論』という講座で『事業発展計画書』と言う講義をする機会を得た。後日学生の感想文が手元に送られて来た。
 『よくテレビドラマなどで、会社のお飾り的存在で社長を観るが、社長たるもの綿密な事業計画を立て、事業に人生をかける位の勢いがあるべきなのだと知りました。』
 『夢のある話だった。話が豪快でおもしろかった。』
 『考え方を改めようと思った。何気ない日常にもボンクラでナマクラな自分が現れていると分かったので。』
 『話を聞いているだけで鳥肌が立って、やっぱり情熱が伝わってくる感じがします。資格をいくら取ってもそれを活かせる行動力がなれけば、行動する方法を知らなければ意味がない、というのはすごく心に突き刺さった。』
 『私達今の大学生の人達が、働く時代は楽しくなると話した人は初めてだ。皆暗い時代が来ると言っているのに。』
 『自分の「これからは、目的(希望)を持って生きていこうと思います。ありがとうございました。』
 私自身が学生から大きな激励を受けた。(2006年・第50期事業計画書より)。」

つづく