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社内報マリン

マリンフードでは年に3回社内報を発行しています。社内報の一部の記事をご紹介します。

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相談役 木次 幸雄

昭和52年1月2日

 私は一九五五年(昭和三十年)吉村油化学㈱入社、一九五七年三月先代社長 故吉村栄吉より新会社設立(ミルクマリン食品㈱社員約三十六名位)に伴い移籍し研究部に配属され月給七千円からスタート。
 当時、世間一般に不景気で就職難時代だった。研究部に四年間配属され、続いて生産部資材課を二年間その後、営業部業務課を三年間担当した。一九六四年二十八歳で結婚。一九六五年経営不振に陥り希望退職者二十名募られ営業部員の大量退職となり、一九六六年私は車運転不適格者にもかかわらず免許取得するよう支持あり取得後静岡・名古屋・京都・神戸エリア担当となりロースターを中心に営業活動スタート、二年後福岡出張所所長として単身赴任、他に女子事務職員一名だけで現在の福岡菱食内で間借りであった。第二子誕生で家族同居せざるを得なかった。
 

平成4年11月11日



 売上シェア四パーセントになれば本社勤務も可と約束あり沖縄返還前に売り込み成功し一九七〇年十月大阪営業所所長として勤務する。大阪・広島・四国エリアを担当した。一九七七年八月東京営業所所長代理として単身赴任一九七八年東京支店長になる。春に家族同居する。一九八〇年四月十四日先代社長他界、同年吉村直樹社長就任。
 約十四年後福岡西日本営業部長兼福岡営業所長を命ぜられ妻と2人で再び福岡転勤。家族は3ヶ所に住まざるを得なかった。自分としては福岡で定年退職を迎えるものと心づもりをしていたように記憶している。一九九五年十一月再度東京支店長として赴任約十一年間勤務。一昨年四月一日より相談役として現在に至る。
 以上私の経歴を述べましたが、私は皆々様のご協力で大過なく五十三年間当社で過ごすことが出来感謝に堪えません。今後マリンフード㈱の益々のご繁栄を心よりお祈り申し上げると共に皆様のご健康とご多幸を心よりお祈りし書面をもってお礼とお別れのご挨拶とさせて頂きます。ありがとうございました。感謝 感謝