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社内報マリン

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創業130年⑦ 「ミルクマリン始動」(令和2年4月1日号)

取締役社長 吉村 直樹

一. 会社創立式辞(昭和32年9月27日)
 本社応接室に初代社長吉村栄吉の創立式辞が、掛け軸にして飾られている。
「本日当社創立及び工場落成式を挙行するに当り御来賓の各位には公私殊のほか御多忙にも拘りませず、欺く不便の地に御光来下さいましたことを衷心御礼申し上げます。
 さて弊社事業は、従来吉村油化学株式会社のマーガリン部門として、繊維油削と相並んで営まれて参ったのでありますが、両部門とも一両年来の需要の急増に対処し、更に品質の向上を期するために、設備の拡張と近代化とを必要とする一方、元来生産及び営業形態と需要市場とを全く異にする二部門を兼営することは、物の面、人の面に於て種々不便不徹底を免れませぬので、此の際両部門を分離してマーガリン部門を完全に独立せしめ、製造面並びに営業面の合理化を徹底して将来の競争に耐え得るような基盤を速やかに確立する必要在りと考え新会社の設立を着想いたしましたのが丁度一年前の昨年今頃でありました。
 以来着々計画を進めて参りましたが、これが実現のためには、先ず会社の規模、合理化の程度、資金の問題を決定する必要がありました。幸い吉村油化学吉村又一郎社長殿の御理解と、マーガリンの特約代理店なる野田喜商事株式会社野田社長殿の全幅の御協賛を得、又京都の丹波商店殿を始め全国主要特約店及び有力仕入先各位の心からの御協力を頂きまして、本年3月15日、新会社創立の登記を見ることができたのであります。よって4月1日を以てとりあえず吉村油化学内に於て営業を開始いたし、七月末新工場竣工をまって、直ちに移転を行い、8月15日これを実行いたし名実とも新会社として発足いたした次第であります。
 此の間、平常業務の他、資本の捻出、地所の選定、建設の設計、工事監督、金融機関及び原材料業者との取引に関する折衝、一般販売先への諒解工作、移転のため製造休止期間中の商品の流れの維持、旧機械の改造模様替と新設備の受け入れ、諸機械の組立取付等に際しましては、役員、職員、工員問わず、或は夜間遅くまで、或は休日を返上いたし、文字通り全く寝食を忘れて働いたのであります。また新工場運転後も、全社一体となっての努力の結果、販売は少しも衰えず、秋冷需要期入るととも業況頓に活発を加えつつありますことは実に嬉しいことであります。工場は御覧の通り至って小規模のものでございますし、又自動化その他諸設備に於ても未だ不完全のものでありますが、これらは絶えず改善をすすめ、一歩一歩良品廉価の理想に近づくことを念頭いたしております。
 今日皆様をお迎えして過去を振り返り、金融引きしめの直前という時期に間に合ったこと、又食品工場として望ましい環境を得たことと共に、大方皆様の御声援や社内の一致団結ということに思い至りますとき、まことに天の時、地の利、人の和を併せ恵まれましたことを痛感せずにはいられないのであります。
 今後は更に一同手を携え、粉骨砕身皆様の御厚情に報いる覚悟でございますから、皆様方におかれましても、旧に倍する御指導、御鞭撻を賜りますよう切にお願いいたしまして私の御挨拶といたします。」
今は、独立に至った経緯は全て水に流して、新会社の成功に全力を傾ける思いのみであったろう。栄吉56歳の秋であった。

二. 株主名簿
 表は手元にある設立時の株主名簿である。(表は個人名記載の為控えさせて頂きます。)資本金800万円、株主59名でのスタートだった。

三. 故吉村百合子会長の思い出話
 ...こうして昭和32年4月1日にミルクマリンは吉村油化学より独立し、主人は社長として第一歩を踏み出しました。
 社員数は約50名でした。新工場はまだ姿もなく、油化学の工場内で間借りしながら、株主様への説明会や、資金繰り、そして不動産屋さんと土地の物色など、毎日足が棒になるまで歩き廻りました。
 やっと今の豊南町の土地を見た時、社長は一も二もなくこの土地に決めました。ここなら油化学で働いてくれている女の人達が、歩いて通勤出来ると考えたからです。
決定からの行動は猛スピードでした。4月会社設立、5月土地購入、8月工場完成で生産体制も出来上がりました。同時に私達の自宅も、三国から新工場内に家を建てて引っ越しました。(結局私たちは工場内の自宅で八年間暮らすことになりました。現在のホットケーキ工場の辺りです。)営業以外の人達は全員真っ黒になり、油だらけになって昼夜を問わず、自分達で出来る事は全て会社のために頑張って完成した工場でした。
 9月27日に落成式が取りおこなわれ、本当に沢山の方々に出席をいただき、各業界来賓の方より身にあまる祝詞を頂き、社長始め社員一同の笑顔を見た時は、まるで夢を見ている様でした。

四. 第一期決算書
 昭和32年3月15日~昭和33年3月31日の営業報告書。
「昨年度は3年連続の米豊作を記録して、従来の常識からはパン食は減少し、従ってマーガリンの需要なども低調の予想でありましたが、事実は昭和30、31年度横ばいの状態から昨年度に至って約10%前年を上廻る状況でありました。
 ...最近の食生活の状況は主食の観念が大分変わりつつあって、パンの需要は米の豊凶に拘らず逐次伸びる傾向がある。現に33年度の国の製産目標は32年度の1割増の77,000屯になっていることもそれを反映していると思われます。
 ...御承知の通り当社は、価格構成上原料比率の著しく高くて一般に採算割れしている業務用を避け家庭用マーガリンを主体にしているのでありまして、32年度は710屯を生産し全国26社の総生産9,500屯の7.5%で第4位を占め、更に本年の4月までの対前年同期比率は約15%増になっております。併しながら全国的に、生産能力過剰(需要の約2倍)に加えて金融引締による不況のため全く買手市場となったマーガリン業界に於ては、販売が最も重要な業務となったことは言をまたない所であります。当社の販売形態は当初より大代理店を頂点とするピラミッド型大販売網形式を特徴とし、その間の上下左右のつながりは独特の契約制度によって強固に結びつくように努めて居ります。
 次に機械設備については創立以来一年有余に過ぎませんが、此の間鋭意、拡充合理化に努力し、高圧連続式乳化機は研究改良の結果、従来より非常に乳化時間を短縮して一層良質の生地を得られるようになり、自動包装機は従来のものに加えて、最も稼働率の高い25瓦小型用機と1/4ポンド、五十匁兼用機との計二基を増設し、宣伝車も更に一台新規購入しました。欺く改善強化の結果、生産、宣伝とも偉力を増大しましたが同時に約400万円余の資金を新たに固定しました。
 ...今期は上述のような経過により、480万円の利益を計上しましたので、初年度ながら約一割の配当を実施いたしました。尚時期に於ては総売り上げに於て二割の増加を目標とし、更に新製品の構想を練ると共に工場設備の一層の精鋭化のため本年末、或は来年々初に於て大体50%増資の計画をしておりますので、その節は何卒よろしく御協力をお願い申し上げます。」
 会社設立前後は、かなり厳しく、また慌ただしく、危惧される船出であったが、まずは順調にスタートしたのだった。