世界・日本の映画ランキングベスト250~至極の世界~④(ほほづゑ2019年新年 第99号より転載)
「男はつらいよ」全48作+1作は、日本映画界の至宝だ。これは世界記録でギネスが認定している。獲得した映画賞は数知れない。シリーズ映画が多くの映画賞を獲るのは、世界的に見ても奇跡に近い。全作の脚本を山田洋次が書き、46作を監督した。全作主演の渥美清は、第1作が41歳で、逝去が68歳。27年間の「寅さん」人生だった。
渥美は「寅さん」のイメージを守るために、他からのオファーは極力断った。こんなことも世界的にみて考えられない。昨年、野村芳太郎監督の「八つ墓村」(269位)を観たが、金田一役で渥美が出ているだけで新鮮な感じがした。松竹の歴史に残る大ヒットだった。
渥美の意思は徹底的で、プライベートを秘匿し、山田監督でさえ自宅住所を知らなかった。
マドンナはほぼ毎回変わり、述べ41人に達した。倍賞千恵子の妹さくら以下、叔母ちゃん、さくらの夫、隣の工場の社長、お寺の小者の常連は最後まで固定し、叔父ちゃんは当人逝去のため3人が演じ、御前様の笠智衆は45作で亡くなった。
1996年8月4日、渥美は癌の転移のために他界したが、同年日本政府は国民栄誉賞を追贈した。俳優に贈られるのは、長谷川一夫に次いで2人目だった。
10位「男はつらいよ 全48作+1作」(日本映画 1969年~1995年 特別編 1997年)
理屈を述べる訳ではないが、この映画の大半の期間がバブル経済真っ盛り。何の資源も持たない日本の経済戦士が世界と戦い続けた。そのバックにこの映画で癒された仲間が山のようにいた。仲間は皆、新作が封切られると束になって映画館に足を運んで、泣いて笑ってテキヤの口上をそらんじた。ボクはこの映画で渥美を知り、倍賞を知り、笠を知った。マドンナとして最多の4作に出演した浅丘ルリ子は、寅さんの相方として不思議だが、葬儀で弔辞を読む。後年、ラジオで求めに応じて弔辞を披露するが、再び涙無くして読めなかった。
4本選ぶなら、まず第1作を観て欲しい。渥美は主演男優賞を獲るし、山田監督も獲る。倍賞のまばゆいばかりの若い清潔感に心ときめく。2本目は第15作「相合い傘」。寅さんと結婚したいと言うリリー(浅丘)に泣く。寅さんを必死で説得する倍賞が健気。3本目は17作の「夕焼け小焼け」。太地喜和子の弾ける明るさに息を呑む。杉村春子の後継者に嘱望されながら伊東の海岸で48歳で事故死する。4本目は最終作「紅の花」。全てが終幕に向かって静かに進んでいく。寅さんは、一足早く天国に召されているようだ。
今年、22年振りにスペシャルが公開される。
64位「羊たちの沈黙」(アメリカ映画 1991年)
怖いもの見たさという言葉があるが、ボクは蓋をしたい。ただ、突然そんな危険に惹きつけられる瞬間がある。
20年程前に、NZのクィーンズタウンで2400メートル上空からスカイダイビングに挑戦したのもそんな瞬間だった。過去の挑戦者のリストを見ると、ほとんど女性客だった。飛ぶ直前には随分後悔した。
でもこの映画を観て、人の皮を剝ぐとか、内臓や舌を食べるとか残虐行為が次々に紹介されるが、一番恐ろしいのは人の心の深奥だということがよく分かる。
原作の哲学的な雰囲気に誘われて3回見直した。
タイトルは暗示的で、大ヒットに多大な貢献しているが、女主人公の幼児体験とは幾分説得力に欠ける。
主演女優賞のフォスターは「タクシードライバー」(199位)、「告発の行方」(278位)での助演・主演賞に加えてこの映画でメジャーに駆け上がった。主演男優のホプキンスは、脚本を徹底的に読み込む以外一切他の資料を漁らない独特な役作りをするらしい。他にカズオ・イシグロのノーベル文学賞作品「日の名残り」(97位)の主演の執事役が深く印象に残る。
89位「ミリオンダラー・ベビー」(アメリカ映画 2004年)
クリントももう88歳になる。ボクが初めて観たのは、1959年スタートのテレビドラマのローハイドだ。その後マカロニウェスタンで人気を確立し、「ダーティー・ハリー シリーズ」(231位)で米国映画界を代表する俳優になった。
それにしても、日本人はクリントが好きだ。『キネマ旬報』で外国語監督賞をランキング1位も含めて9回獲っている。他を寄せ付けず、圧倒的に一番。
映画は雑誌『ニューヨーカー』に出てくる短編小説みたいだ。売れないボクシングジムを経営する読書好きの年老いたオーナーと古い付き合いの元黒人ボクサーのところに、レストランで働く貧しい女の子が入ってくる。種々のトレーニングの末に、世界王座三階級制覇した井上尚弥みたいに勝ちまくって行く。そして試合で全身不随の事故に見舞われる。最後にオーナーは、彼女を薬物過剰投与で安楽死させ、ボクシングの世界から消える。
途中からこれしかないと思っていたが、教会から大きな反感を呼ぶ。何が人道かはボクには判別出来ない。
138位「映画女優」(日本映画 1987年)
戦前から戦後にかけて映画女優を駆け抜けた女傑、田中絹代の半生記。たどたどしい出だしでどうなるかと危惧したが、これは日本映画界へのオマージュ。
菅原文太の溝口健二や付人役の平田満が出て来てから、突然映画が引き締って来た。原作脚本の進藤兼人も市川も、日本映画の辿って来た道と添い寝している。
女の化粧について、男の気を引く道具ではなく、武士の刀剣と同じく「戦う武器」だ、も意表をつかれる。
戦後の溝口と田中の会話が胸を打つ。当時2人は、もう終わったと酷評されていた。
「僕は自信を失なっていた」「女優の場合は矢張り歳が問題なんです」「自信などというものは崩れるのは一瞬です」「気がついてみれば、会社が大事にする作品から外れていたのです」「活字があなたを老醜と書きましたね」「崖から飛び下りて死んでしまいたいと思いました」。
溝口はこの後3年連続でヴェネチア映画賞獲得の快挙を遂げ、田中は晩年に至るまで各映画賞を獲り続けた。池波正太郎が書く。「市川監督がこれほど成功していようとは思わなかった。また吉永がこれほど堂々と田中を演じようとは思わなかった。難しかったろうが、実によかった」。
寝転がっていたボクは思わず起き上がり襟を正した。
188位「かくも長き不在」(フランス映画 1961年)
ナチの拷問で記憶をなくした浮浪者の男が、パリで偶然元妻が営むカフェの前を通る。元妻は驚く。今彼女を愛している新しい男がいるが、もうかつての夫以外に何も考えられなくなる。女の愛の深さが凄い。彼との過去の愛の生活が無二の記憶だからだ。記憶が戻る可能性は1%も無さそうだ。だが彼女はそれに賭ける。記憶のない彼にはその好意が分からない。戸惑うばかりだ。
映画の続編は彼との同居生活しかない。彼がどんな生活の糧を得ているのか、何の描写もないが、不都合なことはない。共に生きて行くのは生物の本能だから。
記憶のない男と、過去の記憶を生きる女の生活。やがて2人に子供が生まれる。
終章はナチに痛めつけられた男の早死に。コルピ監督は、続篇でその映画を撮るべきだっただろう。それで映画は完結する。男と女の悲喜劇。わずかな希望。
女を演ずるヴァリの男を見つめる強い視力。男を演ずるウィルソンの優しく光のない視線が、この映画の全てを物語っている。
(2026年9月1日付 / 毎月1日発行)
