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世界・日本の映画ランキングベスト250~至極の世界~

世界・日本の映画ランキングベスト250~至極の世界~⑤(ほほづゑ2019年春 第100号より転載)

 母百合子は日本舞踊の人だった。90歳で他界したが、80歳代の半ばまで不自由な目で踊った。宴席などでボクが突然1曲いかがですかと振ると、料理屋の女将から浴衣を借りて踊った。
 広島県福山市出身で小学生の頃天才少女と言われ、上阪して後年人間国宝になった8代目板東三津五郎に師事した。最後の直弟子と言っていた。
 父と結婚する前は、大阪南の料亭「大和屋」で芸者をやっていた。ボクが友人にその話をすると叱られた。「私は踊りのために芸者をやったのよ」。祖母は「この人の踊りに全財産を使った」と愚痴った。
 ボクが幼い頃、母が「おかあさんは早死によ」と言った。幼心に切ない思いがしたものだが、何故そんなことを言ったのか分からない。しかし母は父(78歳没)より長生きした。
 父が病で倒れた時、ボクは札幌で8年以上漂流していた。母が帰阪を促しに来た。ボクは北海道に骨を埋めると答えた。隣の寝具の中で、母は夜の11時から明け方5時まで泣き続けた。年の離れた異母姉にその話をすると、百合子さんの演技は一級品だと笑った。今ボクは、母に感謝の言葉しかない。
 母は倒れる前日まで湯呑みで冷や酒を飲んでいた。ボクの酒好きは母の血だ。晩年「直樹さん、いくらでも飲めるの」と言っていた。体が酒と同化していた。


19位「シービスケット」(アメリカ映画 2003年)

 監督ゲイリー・ロス。主演ジェフ・ブリッジス。
 1930年代に下級競馬で勝てなかった小さな馬格の馬が、殿堂博物館に選定されるまで実力と人気を獲得した見事な成長と、それを支えた3人の傷ついた男達(オーナー、調教師、騎手)の物語。ほぼ実話。
 ボクの家で牛と馬は特別の存在だ。ボクと細君の干支が丑と午。なあんだとなるが、牛や馬の絵、写真、置物は多い。3人の子供と細君は馬に乗る。昨年も長男夫婦はモンゴルへ乗馬に行った。次男は山梨県小淵沢での障害飛越全国ジュニア大会で入賞し、ドイツに派遣された。彼は小学1年から年3回阿蘇の麓でウェスタンをやり、中学1年から大阪の倶楽部でブリティッシュを始めた。
 東大の乗馬倶楽部に勇んで入部したが、喧嘩して1カ月で退部して、インド放浪の旅に出てしまった。オリンピックにチャレンジする親の夢は潰えた。ベルギーの大学院を出てシエラレオネで農業開発の仕事に従事していたが、今年からワシントンで世界銀行に勤務している。馬に戻る気配はない。
 この映画のDVDは、彼が高校1年の年に買ったものだ。当時彼は週4回俱楽部に通い馬の世話をしていた。倶楽部には80頭を越える馬がいたが全部の名前を見分けた。競馬のパッドクの前を通る馬を見て、彼が「この馬がいい」と言うと、大概勝った。
 細君も送迎の合間、障害飛越の試合に出たりするようになった。ボクだけが馬には無縁だ。馬券すら買わない。ボクは牛。牛を絞る乳で作るチーズが本業だ。
 でもこの映画の後半はほとんど泣いていた。馬の不思議な癒しの力は次男を通じて実感していたので、史実のストーリーを素直に受け入れられた。



47位「博士と彼女のセオリー」(イギリス映画 2014年)

 監督ジェームス・スマーシュ。主演エディ・レッドメイン。アカデミー主演男優賞。
 天才宇宙物理学者スティーブン・ホーキングの夫婦と愛、犠牲を主題にした伝記映画。
 ホーキングは20世紀を代表する理論物理学者で、大英帝国勲章を受章している。1988年に出版した『ホーキング、宇宙を語る・ビックバンからブラックホールまで』はベストセラーになり、35以上の言語に翻訳され1000万部以上の売上げを記録している。
 昨年3月、76歳で生涯を閉じた。20歳を過ぎてから筋萎縮症の発症があり、恋人であったジェーンはホーキングを支えるために結婚を決意する。
 彼女は言う。「愛しているのよ。同情なんかじゃない」。ホーキングの父は反対する。「耐え難い敗北へ向かうだけだ」。余命2年と言われたが、奇跡的に進行が止まる。車椅子生活で更に発声も出来なくなるが、ITの発生装置などで研究や講演、執筆活動を続ける。
 ジェーンと結婚し3人の子供も作った。妻の愛は深い、と思われたが49歳で離婚。そして再婚、離婚。
 ジェーンも普通の人を愛し再婚する。ジェーンが「愛した。出来るだけのことをやった」と2回言う場面がある。映画はホーキング62歳の時に作られた。制作者はジェーンと3年に渡り話を続けたと言う。
 最後は少しジェーンの側に立ち過ぎているかも知れない。例えそれでも、2人が成し遂げた事蹟は偉大だ。



108位「放浪記」(日本映画 1962年)

 監督成瀬巳喜男。主演高峰秀子。原作林芙美子。
 高峰の日本エッセイスト・クラブ賞受賞の「わたしの渡世日記」の中で、監督も高峰自身も必ずしもヒットしなかったこの映画が大好きと書いている。
 彼女の俳優としての各種受賞歴は日本映画界最多という。とにかく芸域の広さ、達者さに圧倒される。50年前の国務大臣河野一郎から、女優にしておくには惜しいと言われた人間力も凄い。捨て身の情熱がある。
 フランスに「エディットピアフ」があり、日本に「放浪記」がある。林芙美子の言葉。「私は宿命的な放浪者。私は古里を持たない。従って旅が古里であった」。敗戦後の貧しい日本を生き延びた逞しい女性の物語。
 評論家の川本三郎は書く。「成瀬を観ているうちに、芙美子を読むようになった。共に慎ましい哀歓を描く、大言壮語しない、お金の話が多い、物語を解決しない」。




157位「バベットの晩餐会」(デンマーク映画 1987年)

 監督ガブリエル・アクセル。主演ステファーヌ・オードラン。アカデミー外国語賞。
 1870年前後のデンマーク、ユトランド半島の貧しく小さな漁村が舞台。牧師と2人の娘の3人の生活。
 姉マーチーネ、妹フィリパには夫々偶然出会った士官ローレンス、バリトン歌手パパンが想いを寄せるが、何れも父親が宗教生活を理由に断る。これは老父の不思議な引導だが、娘達は自然の摂理のごとく従う。
 やがて父が亡くなり、姉妹は年老い、村は寂れ、信仰厚い人々も減った或る日、パパンの紹介を得て、フランスから内乱を逃れてバベットが亡命して来る。
 この女性は実は元パリ№1レストラン、カフェ・アングレ(後にトゥールダルジャンと統合する実在の店)の料理長なのだが、それを伏せたまま映画の流れは静かに進行する。
 突然バベットが毎年買っていた宝くじが当たる。賞金は1万フラン。日本円にして80万円。これを全額海亀やチーズ、ワイン等に使い、村人12人に最高級フレンチフルコースを馳走する。味に気がつくのは士官のローレンス。村人の表情も興味深いが、厳しく料理を差配するバベットに滲む無言の誇りが美しい。



202位「残菊物語」(日本映画 1939年)

 監督溝口健二。主演花柳章太郎。
 2015年カンヌ映画祭で公開され喝采を浴びた。
 新派中興の祖、章太郎が歌舞伎役者5代目尾上菊五郎の養子の、2代目尾上菊之助を演じた実話。
 表でちやほやされ裏で未熟な芸を馬鹿にされている。
 子守り女(お徳)が他意の無い感想を述べ、菊之助は心が開ける。やがて相思相愛の仲になるが、女は家を出される。菊之助も飛び出る。1年後旅芝居一座で大阪滞留中に、お徳が追って来る。
 2人は夫婦となり貧乏一座で全国を回る。4年が過ぎ名古屋にいる時、歌舞伎の一門が公演に来ている。病身のお徳が一門を訪ねる。「御曹司の芸が上がっています。ぜひ復帰させてほしい」。一門は心意気に感じ、名古屋で試しに大役を与える。見事に演じ絶賛を受ける。菊之助は東京へ帰れることになる。しかしお徳は、一門に別れることを約束していた。
 大阪公演がある。船が道頓堀川を上がる。江戸時代から続く劇場への船乗り込みだ。舳先に菊之助が立つ。川端の2階家で賑わいを聞きながら、お徳は息を引き取る。総師から正妻として許しが出たばかりだった。
 菊之助の記録では、2年後27歳で若死している。妻の死を追いかけるように。

(2026年10月1日付 / 毎月1日発行)